日常生活のブログ

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左手

私は右利きですが、

 

中1で本格的にバレーボールを始めた時から、

左手で歯磨きをしています。

 

理由は、天才セッターと言われていた、

中田久美さんみたいなセッターになりたかったからです。

 

中田久美さんに憧れたことがきっかけで、

セッターになろうと決めました。

 

中田久美さんも両手が利き手(元は左利き?)の人でしたし、

両ハンドのタッチと使い方が大事なセッターですから、

左右バランスよく使えるようになるために、

 

なるべく左手の感覚を育てようと思って、

左手歯磨きを始めました。

 

最初は左手を細かく動かすなんて本当に難しいことで、

しばらくは左手ではなく顔が動いてしまう状態でした。笑

 

私自身は、

選手の立場の時はスポーツ強豪校に行けたわけではないので、

スポーツ雑誌から得た知識で自主的に歯磨きをした程度でしたけれど、

 

強豪校の指導では、

食事を左手(利き手と反対の手)で取るように強制されることもあったようです。

 

 

ただ単に、バレーボールのために始めたことでしたが、

 

今ではそれが、

自分のためになっているように思います。

 

 

現代脳科学では、

すでに右脳左脳の考え方は古いと言われていたりもするようですが、

(左右ではなく前後が大事)

 

右利きの人は左脳、

左利きの人は右脳が発達していると昔から言われています。

 

左利きの人って、

独特の感性を持っているというか、

大人数の中で異彩を放っているなぁと、

これまでの人付き合いで感じていたんです。

 

変わっていると評されてしまう一方で、

 

個性的で豊かな感性を持っているとも言われていますよね。

 

 

私は元が右利きですので、

そこまでの特色は持てませんが、

 

自分の感覚を大事にするところがあるのは、

左手(右脳)を使っているおかげもあるのかな?

と思ったりします。

 

その前から自分の感覚を大事にする部分は、

もちろんありましたけどね(^^)

 

 

私は人の心を扱う仕事をしていますが、

 

人の心を理解する時にカギになるのは、

その時の自分の心(感覚)なんです。

 

結局のところ、

心とは心臓のことではなく、

脳のことですからね。

 

人の心を理解するためにも、

自分の感覚や感性を大事にするためにも、

 

使える脳の領域を広げておくに越したことはないんだと、

この仕事をするようになってあらためて思います。

 

(今のところ歯磨きができる領域しか広がっていませんが)

 

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↓こちらから画像をお借りしました。

https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200911100001-spnavi?p=1

 

 

 

 

 

使いものにならない月曜日

日曜日は、予定が何も入らなければ、

なるべく体を動かす予定を入れるようにしています。

 

地域のバレーボールに参加したり、

 たくさん歩けるような仕事を入れたり。

 

 

ここ最近は暑いので、

暑い中で動き回った翌日の月曜日は、

 

使いものになりません(笑)

 

以前はよく飲んだスポーツドリンクを

最近はあまり飲みませんが、

 

やはり、塩分は大事ですね。

 

たくさん汗をかくと塩分が失われることは知っていましたけど、

スポーツドリンクを飲めばすぐに補給できるので、

失われていることの実感がありませんでした。

 

昨夜は遅くに家に帰りましたが、

カリカリ梅をむさぼるようにたくさん食べたら、

少し回復しました。

 

 

 

フリーランスになってからの生活は、

学生時代を思い出します。

 

思えば、

卒業と同時に、

夢を追う人生を捨てたようなものだったので、

 

あの頃の私の感覚と、

またつながれたということなんでしょうね。

 

 

夢など追わない、

当たり障りのない普通の幸せ(そうに見えるよう)な人になりたいと思っていた時期は、

 

ずっと自分の心の癒しを中心にした生活をしていたので、

心の気づきが本当にたくさんありました。

 

その時期があったおかげで、

夢というか、すごく自然なライフワークを授かりました。

(まだまだ修行中の身ですが)

 

あのまま何も起こらず何も気づかず、

犠牲に犠牲を重ね、

ピンポイントの理想を追うような生活を続けていたら、

 

私の人生は狭く、

ますます独りよがりなものになっていったでしょうし、

 

そんなものは長くは続かないので、

社会に出て早々にまた潰れていたでしょう。

 

夢に破れ、

 

夢に絶望して、

 

夢を憎むような壮絶な出来事があったから、

 

選ぶことができた真逆の生き方。

 

 

それが、私の人生の幅を広く太くしてくれました。

 

人生に不要なものなど何もない。

 

すべてのことに感謝。

 

 

半分眠っているような頭で、

そんなことを思う月曜日でした。

 

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プチ・メロンブーム

今夏、私の中で、

 

プチ・メロンブームが起きています。

 

発端は、茨城マルシェのメロンパフェの写真でした。

 

 

今まで、

メロンは高価・高級品でほぼ無縁だったことにより無関心気味でしたが、

 

私の地元のアンテナショップで、

こんなにデカいメロンパフェが、

老舗の高級フルーツパーラーの半額に近い値段で食べられる?!

 

これは行くしかない!と思い

一人意を決して行きもしましたし、

 

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長年の友達が大のメロン好きであることが判明したので、

もう一度行ったりしました。

 

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日頃は美術館巡りが趣味な女子で、

今までメロンの話などしたことがなかったので、

新たな発見でした。

 

 

長年の付き合いの友達でも、

まだまだ知らないことがありますし、

 

人はみな、自然に変化していくものなので、

その変化さえあれば、

長い付き合いの中でも、

新鮮さが味わえるものなのですよね。

 

(心に新たな気づきが起こるだけで、

自然に変化していけます。)

 

 

こちら↓はHARBSのメロンケーキ。

 

茨城マルシェ以外のメロン情報に疎い私に、

その友達が

「私の三大憧れの一つ」

と言って教えてくれたので、

先週一緒に行ってきました。

 

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当然ですが、

茨城マルシェのメロンも、

HARBSのメロンも、

全てがおいしかったです。

 

こんなにもメロンをたくさん食べ、

堪能できたのは、

 

人生初です!

 

今夏は、メロンのおいしさを再発見できて、

しかもそれが、嬉しいことに地元が誇るメロンであったり、

自分だけでは気づかない世界が広がったり、

 

人生、生きているだけでも

いろいろな気づきや感動がありますね。

癒しのインプット

人の心を癒す仕事をするならば、

 

自分が癒されている程度しか人の心を癒せないので、

 

何よりもまず、

自分自身を癒すことが大事であると、

 

知識として知ってもいますが、

身をもって感じてもいますので、

 

私を癒すための情報をインプットすることは、

私の仕事の一環でもあります。

 

それも大事な仕事のうちに入る、ということですね。

 

今日は、

自分癒しのインプットをする日にしようかなと思います。

 

休息も自分癒しも、

 

私が私らしくいるため、

自分がいい仕事をしていくため、

 

そのために欠かせないことです。

 

人生とライフワークは長距離走

 

ほんの一時期だけ頑張ればいいというものではありませんし、

 

私自身が自己犠牲につぶれてしまっては、

幸せも何も、本末転倒になってしまいます。

 

そのあたりのバランス感覚を養っていきながら、

長い目で見ていきたいと思います。

 

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誕生日

今日は私の誕生日というわけではありませんが、

 

ここ数日、

私のこれからの人生の長期的なビジョンを見直す作業をしていて、

 

その中の一つに、誕生日のことが出てきました。

 

 

私は子供時代、小さい頃は誕生日を祝ってもらえていたように思いますが、

 

母が離婚した後は、

 楽しい誕生日を過ごした記憶がありません。

 

 

そもそも基本的に私に関心がなかったですし、

 

金銭的事情のこともあったので、ある時点から、

「プレゼントもケーキも何もいらないし、何もしなくていい」

と言っていました。

 

それに対して母は、

 

「ああそう。そうよね。」

 

ぐらいの反応でした。

 

元々母は、誕生日のプレゼントは別に欲しくないと常々言っていて、

 

私がそれでも、と思ってプレゼントをあげても、

「そんなのいいのに。」と、あまり嬉しそうにはしませんでした。

 

私は、誕生日は祝ってほしいし祝ってあげたいタイプだったと思うのですが、

 

家での風景を見ていると、

誕生日は別に祝わなきゃいけないものではないんだと理解した(自分を納得させた)一方で、

 

よその家やテレビドラマで見る誕生日の風景は、

幸せそうにお祝いをするのだな、と寂しさを感じていました。

(押し殺していましたが。)

 

心理学を勉強していく過程で、

あの時感じていた気持ちは、

 

「私は大事にされていない」

「いることを喜ばれていない」

 

そんな気持ちだったということ、

 

そして、

 

「それが当然なんだ」

「大事にされないことが当たり前な存在なのだ」

 

と、自分を低く低く見て納得させていたのだと、

そんなことがわかりました。

 

おそらく母も、自分のことを同じように思っていたのだと思います。

 

それがわかったからと言って、

子供時代に戻ってやり直せるわけでもありませんから、

 

結局できることは、

 

今から自分が自分のことを大事にするようにする、

今から自分で楽しい誕生日にしていく、

 

そんなことだったり、

 

その他にも癒しを繰り返してきて、

そういう傷はだいぶ癒えました。

 

 

じゃあ、この今の私は、どう思うのか?

と考えると、

 

やはり私は、私の大事な人の誕生日を祝ってあげたいし、

同じように私も、

大事な人に私の誕生日を祝ってもらいたいと思いました。

 

大事な人に誕生日のお祝いをしてもらいたいという気持ちは、

今に限らず、これまでもずっと心の中にあったことですが、

 

無理にお願いしてやってもらうものでもないし

 

とか、

 

どうせ言っても叶わないから

 

と、あきらめていたことでもあります。

 

誕生日に、

「あなたがいてくれて嬉しい」

「これからも大事にしていきたい」

「この世に生まれてきてくれてありがとう」

 

お互いにそういうことを伝え合える人と家族になりたい、

そんなビジョンを持つことを、

やっと自分に許すことができそうな気がしました。

 

誕生日は、多くの人にとっては普通の日常である平日にあると思いますので、

仕事があったり、関係なくやらなければならないこともあるのだと思います。

 

また、

忙しくて今はいちいち誕生日なんかにかまってられないんだよ、

という方もいるだろうと思います。

(こういう方は、自己否定や罪悪感から頑張っていらっしゃる方なので、一大事のような気づきのきっかけがない限り、忙しい時期が終わらないことが多いです。)

 

それはそれである意味仕方のないことなのですが、

 

他のことや他の人のことなど、

その人以外のことを優先することが続いてしまうということは、

 

その大事な人に、

「あなたは大事ではない」

というメッセージを伝え続けることになってしまうのです。

 

そしてそれは同時に、自分のことも大事にできていないということになります。

 

自分が自分にしてあげられることしか、

大事な人にもしてあげられないからです。

 

 

私は、心の触れ合いがない家庭で育ち、

放り投げ出されるように飛び込んだ現実社会の中で、

たくさんの苦労と失敗と罪(悪感)と傷を負って、

ここまで生きて来ました。

 

私は、できることなら、これからの人生で、

子供がいる家庭を持ちたいと思っています。

 

子供は、

両親のいいところを受け継いで生まれてきたサラブレッドであり、

私たちがこれまで見てきたことを伝え、

ゆくゆくはこれからの未来を、

自分の命を繋いで託していく存在ですから、

 

もし子供がいる家庭を持つことができたら、

私の代で負の連鎖を終わりにしたいという思いがあります。

 

それは、完璧で非のない家庭を作りたいということではありません。

 

そんなことを目指すことによって逆に、

絆が弱い寂しい家庭になってしまいますから。

 

 

もし子供が持てなかった場合でも、

 

幸せな人、夫婦、親子、家族を増やしていきたい、

 

たとえ数人しか増やせないような微々たる力だとしても、

それがこの世に対して私が貢献できることだと、

 

その思いを元に、

これからの人生を生きていきたいと思っています。

 

私がパートナーシップを持つことができたら、

いいこともそうでないことも含めて経験値が増えて、

貢献できることが増えると思っているので、

 

やはりお互いを大事に想い合えるパートナーと家族になりたいです。

 

 

 

 

「幸せ」とは、

心の交流があることです。

 

「幸せ」とは、

心を開いて安心して話ができ、

一緒にいられる人がいることです。

 

 

 

誕生日をそんな風に過ごせるこれからの人生にしていけるよう、

私自身も引き続き、楽しみながら努力していこうと思いますし、

 

 

仮にそういう人生になっていかなかったとしても、

 

どんなときも全てのことが学びだと、

私にはそれが必要なプロセスなのだと、

 

それはそれでその人生を、

楽しんで生きていきたいと思います。

 

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夏の土用

今日から、夏の土用期間に入りました。

 

土用期間になると、無性に鰻が食べたくなります。

 

いつからか、

 

『土用=鰻を食べられる楽しい時期』

 

という図式が私の中でできあがってしまっているようです。

 

 

土用期間は夏が有名ですが、

夏だけではなく春夏秋冬全てにあり、

 

夏に限らず土用期間を迎えるたびに鰻が食べたくなってしまいます・・・

 

※以前にも夏の土用についてのブログを書いたことがあります。

ameblo.jp

 

 

昔は、スーパーの安い鰻や、

近所のそんなにおいしくない鰻屋さんで食べていたため、

そこまで好きではなかったのですが、

(鰻のタレがかかったご飯の方が好きでした)

 

大人になって3,000円以上するおいしい鰻重を食べてから好きになったので、

今は鰻を食べるなら3,000~5,000円ぐらいの鰻重を食べたいなぁと思います。

 

昨年はちょうど、

人生初の入院を経験した直後だったのでそれどころではなく、

食べられずじまいでしたので、

 

今年は食べられるといいなーと、

自分の予算の中で、鰻枠を作ろうと思っています。

 

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心の動き

心の動きや日常を、そのままリアルタイムで発信できる人って、すごいなぁと思います。

 

私は元々、不言実行タイプでした。

 

最近、発信に関して引きこもりがちな私のことを俯瞰して見たときに、

それに気づきました。

 

何でだろう?と振り返ると、

私の話を聞いてくれる人が誰もいない時代が長かったから、

かもしれないなと思います。

 

言ったところで相手にされないか、

頭ごなしに否定されるか、

言う時点で完璧になっていないと許されないか、

 

そんな経験が多かったからかもしれません。

 

もしくは、ネガティブな話の場合、私の状態にその人を巻き込んではいけない、

そんな風にも思っていました。

(相手が巻き込まれてしまうと思うのは、自分が同様に巻き込まれてしまうという感覚を持つ人で、近しい人との距離感が適切でない環境で育った場合に、そう感じやすくなります。)

 

今でこそ、心の中で感じていることを、リアルタイムに話すということはある程度できるようになりましたが、

そこにたどり着くにはけっこうな時間がかかりました。

 

今はまさに、発信で怖い思いをしたことによって、

周囲への不信感が拭えなかったり、

ネガティブな思いの方が強くなってしまったりするので、

昔のように何も言わなくなってしまっているような気がします。

 

 

心の動きや日常を毎日発信されている、

何人かの方のブログや記事を拝見していますが、

その中で、大切な人を亡くされた方のブログも読ませていただいています。

 

「会話ができるだけでも 幸せであることを 今知る。」

 

そんな文章を今日読んで、

 

私も大切な人を亡くした時に、心底そう思っていたことを思い出しました。

 

 

大切な人と一緒に生きていると、

 

それじゃダメだ、

こうしなきゃ、

 

私はこうありたい、

あなたにはこうあってほしい、

 

一緒に生きていくために価値観や意見をすり合わせていく中で、

理解しきれずに嫌な気持ちになることも多いと思います。

 

それはそれで大事なことで、必要なことなのですが、

 

その人を失ったときに思うことは、

 

その人がその人として生きてくれている、

その人が何でもいいから何か言葉を発してくれる、

 

それが何よりもかけがえのないことなのだ、ということなのです。

 

その人がその人自身であるということが、どれだけ尊いことなのか。

 

 

私が周囲の人に自分のその思いを伝えられたのは、

大切な人を失ってから14年という月日が経ってからでした。

 

その当時の記憶は強烈に残っていますから、

その月日が経っていても出てくる言葉はたくさんありましたが、

 

それでもやはり、風化してしまう記憶もあります。

 

今回のその方のブログは、私の中のそんな記憶を呼び起こしてくれました。

 

 

心の動きや日常をリアルタイムで発信できる力というのは、

より詳細に、その時の状況を伝えられるということで、

特に私のような、心のことを扱う発信者にとっては、

とても大事な力なんだなと感じます。

 

 

そして、心の動きというのは、人と関わってこそ起こることです。

 

昨年、お世話になった起業塾を卒業してからというもの、

極端に人と関わることが少なくなってしまい、

そんなことも私の反省材料の一つです。

 

これからの私のやり方、生き方を、根本的に見直していかないといけません。

しばらく、うーんうーん、と考えたいと思います。

 

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