日常生活のブログ

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誕生日

今日は私の誕生日というわけではありませんが、

 

ここ数日、

私のこれからの人生の長期的なビジョンを見直す作業をしていて、

 

その中の一つに、誕生日のことが出てきました。

 

 

私は子供時代、小さい頃は誕生日を祝ってもらえていたように思いますが、

 

母が離婚した後は、

 楽しい誕生日を過ごした記憶がありません。

 

 

そもそも基本的に私に関心がなかったですし、

 

金銭的事情のこともあったので、ある時点から、

「プレゼントもケーキも何もいらないし、何もしなくていい」

と言っていました。

 

それに対して母は、

 

「ああそう。そうよね。」

 

ぐらいの反応でした。

 

元々母は、誕生日のプレゼントは別に欲しくないと常々言っていて、

 

私がそれでも、と思ってプレゼントをあげても、

「そんなのいいのに。」と、あまり嬉しそうにはしませんでした。

 

私は、誕生日は祝ってほしいし祝ってあげたいタイプだったと思うのですが、

 

家での風景を見ていると、

誕生日は別に祝わなきゃいけないものではないんだと理解した(自分を納得させた)一方で、

 

よその家やテレビドラマで見る誕生日の風景は、

幸せそうにお祝いをするのだな、と寂しさを感じていました。

(押し殺していましたが。)

 

心理学を勉強していく過程で、

あの時感じていた気持ちは、

 

「私は大事にされていない」

「いることを喜ばれていない」

 

そんな気持ちだったということ、

 

そして、

 

「それが当然なんだ」

「大事にされないことが当たり前な存在なのだ」

 

と、自分を低く低く見て納得させていたのだと、

そんなことがわかりました。

 

おそらく母も、自分のことを同じように思っていたのだと思います。

 

それがわかったからと言って、

子供時代に戻ってやり直せるわけでもありませんから、

 

結局できることは、

 

今から自分が自分のことを大事にするようにする、

今から自分で楽しい誕生日にしていく、

 

そんなことだったり、

 

その他にも癒しを繰り返してきて、

そういう傷はだいぶ癒えました。

 

 

じゃあ、この今の私は、どう思うのか?

と考えると、

 

やはり私は、私の大事な人の誕生日を祝ってあげたいし、

同じように私も、

大事な人に私の誕生日を祝ってもらいたいと思いました。

 

大事な人に誕生日のお祝いをしてもらいたいという気持ちは、

今に限らず、これまでもずっと心の中にあったことですが、

 

無理にお願いしてやってもらうものでもないし

 

とか、

 

どうせ言っても叶わないから

 

と、あきらめていたことでもあります。

 

誕生日に、

「あなたがいてくれて嬉しい」

「これからも大事にしていきたい」

「この世に生まれてきてくれてありがとう」

 

お互いにそういうことを伝え合える人と家族になりたい、

そんなビジョンを持つことを、

やっと自分に許すことができそうな気がしました。

 

誕生日は、多くの人にとっては普通の日常である平日にあると思いますので、

仕事があったり、関係なくやらなければならないこともあるのだと思います。

 

また、

忙しくて今はいちいち誕生日なんかにかまってられないんだよ、

という方もいるだろうと思います。

(こういう方は、自己否定や罪悪感から頑張っていらっしゃる方なので、一大事のような気づきのきっかけがない限り、忙しい時期が終わらないことが多いです。)

 

それはそれである意味仕方のないことなのですが、

 

他のことや他の人のことなど、

その人以外のことを優先することが続いてしまうということは、

 

その大事な人に、

「あなたは大事ではない」

というメッセージを伝え続けることになってしまうのです。

 

そしてそれは同時に、自分のことも大事にできていないということになります。

 

自分が自分にしてあげられることしか、

大事な人にもしてあげられないからです。

 

 

私は、心の触れ合いがない家庭で育ち、

放り投げ出されるように飛び込んだ現実社会の中で、

たくさんの苦労と失敗と罪(悪感)と傷を負って、

ここまで生きて来ました。

 

私は、できることなら、これからの人生で、

子供がいる家庭を持ちたいと思っています。

 

子供は、

両親のいいところを受け継いで生まれてきたサラブレッドであり、

私たちがこれまで見てきたことを伝え、

ゆくゆくはこれからの未来を、

自分の命を繋いで託していく存在ですから、

 

もし子供がいる家庭を持つことができたら、

私の代で負の連鎖を終わりにしたいという思いがあります。

 

それは、完璧で非のない家庭を作りたいということではありません。

 

そんなことを目指すことによって逆に、

絆が弱い寂しい家庭になってしまいますから。

 

 

もし子供が持てなかった場合でも、

 

幸せな人、夫婦、親子、家族を増やしていきたい、

 

たとえ数人しか増やせないような微々たる力だとしても、

それがこの世に対して私が貢献できることだと、

 

その思いを元に、

これからの人生を生きていきたいと思っています。

 

私がパートナーシップを持つことができたら、

いいこともそうでないことも含めて経験値が増えて、

貢献できることが増えると思っているので、

 

やはりお互いを大事に想い合えるパートナーと家族になりたいです。

 

 

 

 

「幸せ」とは、

心の交流があることです。

 

「幸せ」とは、

心を開いて安心して話ができ、

一緒にいられる人がいることです。

 

 

 

誕生日をそんな風に過ごせるこれからの人生にしていけるよう、

私自身も引き続き、楽しみながら努力していこうと思いますし、

 

 

仮にそういう人生になっていかなかったとしても、

 

どんなときも全てのことが学びだと、

私にはそれが必要なプロセスなのだと、

 

それはそれでその人生を、

楽しんで生きていきたいと思います。

 

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