日常生活のブログ

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心の動き

心の動きや日常を、そのままリアルタイムで発信できる人って、すごいなぁと思います。

 

私は元々、不言実行タイプでした。

 

最近、発信に関して引きこもりがちな私のことを俯瞰して見たときに、

それに気づきました。

 

何でだろう?と振り返ると、

私の話を聞いてくれる人が誰もいない時代が長かったから、

かもしれないなと思います。

 

言ったところで相手にされないか、

頭ごなしに否定されるか、

言う時点で完璧になっていないと許されないか、

 

そんな経験が多かったからかもしれません。

 

もしくは、ネガティブな話の場合、私の状態にその人を巻き込んではいけない、

そんな風にも思っていました。

(相手が巻き込まれてしまうと思うのは、自分が同様に巻き込まれてしまうという感覚を持つ人で、近しい人との距離感が適切でない環境で育った場合に、そう感じやすくなります。)

 

今でこそ、心の中で感じていることを、リアルタイムに話すということはある程度できるようになりましたが、

そこにたどり着くにはけっこうな時間がかかりました。

 

今はまさに、発信で怖い思いをしたことによって、

周囲への不信感が拭えなかったり、

ネガティブな思いの方が強くなってしまったりするので、

昔のように何も言わなくなってしまっているような気がします。

 

 

心の動きや日常を毎日発信されている、

何人かの方のブログや記事を拝見していますが、

その中で、大切な人を亡くされた方のブログも読ませていただいています。

 

「会話ができるだけでも 幸せであることを 今知る。」

 

そんな文章を今日読んで、

 

私も大切な人を亡くした時に、心底そう思っていたことを思い出しました。

 

 

大切な人と一緒に生きていると、

 

それじゃダメだ、

こうしなきゃ、

 

私はこうありたい、

あなたにはこうあってほしい、

 

一緒に生きていくために価値観や意見をすり合わせていく中で、

理解しきれずに嫌な気持ちになることも多いと思います。

 

それはそれで大事なことで、必要なことなのですが、

 

その人を失ったときに思うことは、

 

その人がその人として生きてくれている、

その人が何でもいいから何か言葉を発してくれる、

 

それが何よりもかけがえのないことなのだ、ということなのです。

 

その人がその人自身であるということが、どれだけ尊いことなのか。

 

 

私が周囲の人に自分のその思いを伝えられたのは、

大切な人を失ってから14年という月日が経ってからでした。

 

その当時の記憶は強烈に残っていますから、

その月日が経っていても出てくる言葉はたくさんありましたが、

 

それでもやはり、風化してしまう記憶もあります。

 

今回のその方のブログは、私の中のそんな記憶を呼び起こしてくれました。

 

 

心の動きや日常をリアルタイムで発信できる力というのは、

より詳細に、その時の状況を伝えられるということで、

特に私のような、心のことを扱う発信者にとっては、

とても大事な力なんだなと感じます。

 

 

そして、心の動きというのは、人と関わってこそ起こることです。

 

昨年、お世話になった起業塾を卒業してからというもの、

極端に人と関わることが少なくなってしまい、

そんなことも私の反省材料の一つです。

 

これからの私のやり方、生き方を、根本的に見直していかないといけません。

しばらく、うーんうーん、と考えたいと思います。

 

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